サンデー・パンチ

粂川 麻里生

誰がボクシングを守るのか


 「辰丈丈一郎ファン」が「ボクシング・ファン」でもあるとは限らないし、そうでなければいけないわけでも全然ない。辰吉の試合しか見ない人、辰吉が引退したら、ボクシングを見なくなってしまう人はいくらでもいるだろう。極端な話、「辰吉が勝ってくれれば、ボクシングのルールなどちょっとくらいねじまげられても構わない」と思う人も少なくないだろう。
 これは、当然辰吉ファンに限ったことではない。あるボクサーを切実に応援する人なら、「いんちきレフェリー」によってその選手がKO負けのピンチから救われたとき、「ふぇー、助かったぁ」という気持ちが、「こんなことではいけない」という気持ちよりも先に立つこともあるのではないか。
 くり返すが、それはけっしていけないことではない。僕たちは別に「正しさ」が見たくてボクシング会場に通うのではない。正邪の区別もつかないまま、リング上でボクサーが放つ圧倒的な光に魅せられ、「とにかく勝たせたい」、「チャンピオンになってほしい」と思ってしまうのである。また、そんなふうに「ひいきの引き倒し」になるくらいイレ込んでくれるファンがついてこそ、ボクサーはこれでメシが食えるのだ。
 そういう、いわば「本物のファン」にとって、第一に大切なのはそれぞれの「ボクサー」なのであって、「ボクシング」ではないだろう。「ボクシング」という競技自体を愛するようになるのは、ありうるとしても、もっとずっと後のことではないだろうか。
 「辰吉ファン」は、まずは「ボクシング全体」のことなど一切考えず、ただひたすら辰吉の勝利を願っていいのだ。これは、皮肉で言っているのではない。露骨なホームタウンデシジョンであっても自分のひいきの選手が勝ったら狂喜できるファンは、美しいと僕は思う。そこには「真情」があるからだ。

 ところで、テレビ局というのも「ボクシング」よりも「辰吉」を愛する存在だ。そして、「辰吉」よりも「視聴率」を愛する。テレビにとって、唯一にして至上の価値は「視聴率」なのだ。若干脱線になるが、例の北朝鮮拉致被害者家族会の蓮池透さんがどれほど真剣なメッセージを発しようと、彼が画面に映ると視聴率が下がるという理由でコメントをカットしてしまうのが民放というものなのだ、ということを石丸次郎さんから聞いた。僕たちは、民放テレビに対して「公正な社会の実現」などを期待してはならないのだろう。
 拉致問題という抜き差しならない政治問題・人権問題でさえそうなのだ。通常の(辰吉の試合や世界戦でない)ボクシングなど、どれほどいい試合であろうと、大した視聴率が取れない以上、テレビにとっては無価値に等しい。テレビに「ボクシングというスポーツ全体のことを考えてくれ」と頼むことなど、お門違いな話なのだ。
 金曜日の辰吉−アビラ戦は、スポーツ・バラエティ番組の1コーナーという扱いで、日本テレビ系で放映された。スポーツ・バラエティといっても、元阪神タイガースの掛布雅之氏や元アマレス世界最強の高田裕司氏が現役時代にやり残したことのために「カムバック」するという、およそスポーツとはいえない企画と一緒にされたのだ。この「辰吉と掛布」というありえない組み合わせに、日本テレビのボクシング観が如実に見て取れる。辰吉の試合は、「ボクシング試合」のひとつではなく、「スポーツ関連アトラクション」のひとつなのだ。
 あのテレビ番組、構成、実況、ゲストのコメントに、「ボクシング」に対してかけらでも愛情を感じた人がいるだろうか。辰吉のカムバック・ロードと「掛布のカムバック」を同じ枠内で扱われることは、ボクシングが人生の一部になっている人間にとっては苦痛以外の何物でもない。しかし、世間とは、テレビとは、そういうものだ、と踏まえねばなるまい。世間の多くの人が興味を持つのは「ボクシング」ではなく、「辰吉」なのだ。そして、世間がそうなら、テレビもまたそうなのだ。
 テレビにはボクシングを守るつもりはないし、そんな義理もない。「辰吉ファン」にさえ、ボクシング全体のことを考える義務などないのだ(念のために言うが、辰吉ファンにそういうことを考えてくれる人がいない、という意味では全然ない)。では、誰がボクシングを守るのか? もちろん、我々ボクシング専門誌は真剣にこういう問題について考えていかねばならないだろう。そして、一部の「ボクシング」自体のことを考えてくれるファンも少なからずいてくださるに違いない。だが、一番しっかりして欲しいのは、コミッションであり、審判団だ。レフェリーが、「ボクシング」以外のものに屈従するとき、ボクシングは崩壊する。
 レフェリーに、直接に金銭的・暴力的圧力がかけられることはないはずだが、興行サイドからの暗黙の要請はある種のプレッシャーとなってのしかかることもあるだろう(テレビという巨大メディアが動く場合は特にそうだ)。しかし、「スーパースター辰吉を守ることが、ボクシング業界を守ることだ」と考えている人がいるとしたら、それはやはり間違いなのだ。辰吉は、すごいボクサーだ。負けても立ち上がれる男であることは、すでに証明済みだ。辰吉−アビラ戦の原田レフェリーのような、子供が見てもインチキと分かるようなレフェリングで試合をぶち壊しにした場合、それはもはや「辰吉を救う」ことにさえなっておらず、単なる「ボクシングの破壊」にしかならない、ということを強く主張したい。 ローブローを見逃す「ミス」で2ヶ月もサスペンドを食った熊崎レフェリーが可哀想なくらいだ。僕がジムの会長なら、命を懸けて戦うボクサーたちを原田レフェリーの裁くリングに上げることは断固拒否する。真面目に仕事をしてくださっている方々には、失礼な言い方になってしまうが、コミッションと審判団には、ボクシングを守るという神聖な義務があることをもう一度思い出していただきたい。

*筆者からのお知らせ
 先週のコラムで、坂田−岡田戦終了時の内田レフェリーの処置に多少批判的なことを書きました。これを、「富樫リングアナウンサーからの内部告発」だと取った方々がおられるようで、富樫氏には多大な迷惑がかかってしまったようです。あそこで書いたことは、粂川自身が会場で見たことだけをもとにしております。富樫さんには、曖昧な書き方をしてしまったことを心よりお詫び申し上げます。また、読者の皆様には、私の提案の趣旨(つまり、試合終了の理由をはっきりアナウンスさせるべきだ、というごくシンプルなことです)をご理解いただき、いらぬ中傷やいやがらせにエスカレートしないよう、お願いいたします。記事についてのご批判・責任は、私個人が引き受けます


 粂川麻里生(くめかわまりお)
1962年栃木県生。1988年より『ワールドボクシング』ライター。大学でドイツ語、ドイツ文学・思想史などを教えてもいる。(写真はE.モラレスと筆者)

 

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