サンデー・パンチ

粂川 麻里生

ささいなことだけれど、決定的なこと

  昨日の本望信人−中村つよし戦は、4回に起こったバッティングで中村の古傷である左目上が深く切れ、そのまま負傷ドローという後味の悪い幕切れとなった。
 名古屋からわざわざかけつけた中村の応援団も、気持ちの収まりがつかない。まあ、無理もない。試合は立ち上がりから両者ともにスピード満点、本望のジャブと中村のアッパーがともに相手の顔面を時折とらえ、まさにこれからというところだったのだ。ドローなら、タイトルの移動はない。「まだやれるー!」、「本望、もう一度やれー!」やり場のない不満が後楽園ホールに充満した。
 僕は、数日前の坂田健文−岡田一夫戦の時のことを思い出した。この試合では、7回ストップで坂田が日本フライ級王座を防衛したのだが、ストップに納得しない岡田の応援団(と言っていいのか……)が暴動と言っていい騒ぎを引き起こし、それなりに熱戦だった試合に泥を塗ることになってしまった。
「また、あれがくり返されるのでは……」僕は嫌な気分になっていたが、そこで救われるような光景が現れた。本望が、中村の右手を取って高く掲げ、中村の健闘を讃えるポーズを中村応援団に示したのだ。さらに、テレビ局のインタビューでは、「(中村と)ぜひもう一度やりたいと思います」と言い切った。このパフォーマンスと発言の効果は大きかった。さっきまで騒いでいた中村応援団からは怒気が失せ、「しゃーないな」、「本望君、もういっぺん、お願いよー」、三々五々帰途につきはじめた。
 もちろん、中村応援団の方々が常識人だったということも大きい。しかし、本望の洗練されたマナーの「説得力」もきわめて大きかった。僕は、ある意味では、見事な試合を見るよりも感激した。本望は、中村のカットは自分の左フックによるものだと思っていて(ビデオを見る限り、やはりバッティングで負傷したように見えるが)、ストップ直後は、自分の左グローブを叩いて、「パンチ、パンチ」と主張していたのだ。「不本意」は、本望が一番強くそれを感じていたはずだ。それなのに、彼は観客の不満を鋭敏に察知して、泣いて悔しがる中村の手を上げ、相手を讃えて見せた。
 本望が中村と再戦することになって嬉しいはずがない。今回の防衛戦に勝てば、チャンピオン・カーニバルでコウジ有沢と対戦、そこでも良い勝ち方ができれば世界挑戦へ、というレールが敷かれつつあるのだ。「中村との再戦」というプログラムは、今が勝負時の本望にとって回り道以外のなにものでもない。それでも、彼は「ぜひ、もう一度やりたい」と言い切った(再戦が実現するかどうかは、彼だけの気持ちではいずれにせよ決められまい)。無念の中村、そしてその応援団に対する、思いやりと敬意だったろう。本望の「フェアプレー」が、後楽園ホールの空気を救ったのだ。これこそ、チャンピオン、すなわち「選手権試合の主宰者」にふさわしい見事な態度だった。
 (以下の記述は、粂川が会場で試合を見ていて、自分自身で見て取ったことを記述しています。たとえば、富樫アナウンサーの「内部告発」のようなものでは絶対にありません。富樫さんにはご迷惑をかけてしまったようですが、この場を借りてお詫び申し上げます)
 思えば、坂田−岡田戦においても、ちょっとした「配慮」であんな無残な光景は避けられたかもしれなかった。試合は、3回あたりからは坂田のワンサイドで、岡田の目(特に右目)は4回には相当に腫れ上がった。5回の途中にはかなり長いドクターチェックも入っている。6回終了時、内田レフェリーは岡田コーナーに赴き、「ストップの可能性」を示唆している。おそらく岡田はストップされてはならじと、7回に力を振り絞って攻勢をかけたのだろう。実際、5、6回よりは岡田のパンチもヒットした。しかしラウンド終盤ふたたび疲れた岡田は、坂田の乱打にさらされた。7回が終わって内田レフェリーが再度岡田コーナーに向うと、開(ひらき)会長みずから「棄権」の意思を告げた。岡田の健康を考えても、正しい決断だったと思う。 
 だが、ここで「小さな間違い」が起こる。両手を頭上でクロスさせた内田レフェリーのところに、富樫リングアナウンサーが小走りで近寄っていった。おそらく、「レフェリーストップか、棄権か」を確かめるためだったのだろう。しかし、内田レフェリーは何も答えず、富樫リングアナを退けた。しかたなく(?)、富樫リングアナは「ただいまの試合、7回終了で赤コーナー坂田選手のTKO勝ちでございます」とアナウンスしたのである。
 これで、ビールをしこたま飲んでいた岡田応援団は怒ってしまった。「6回よりは7回の方が攻めていたのに、なんで止めるんだ」という気持ちだったのだろう。ボクシングをよく知らず、ただ岡田の応援にきた人だったら、そういう気持ちになってもまあ仕方がない。ただ、その後の、リング上にスチール椅子やビールカップが投げ込まれ、坂田やその応援団に絶え間なく暴言が浴びせ続けられたのは、まったくもってリングの冒涜だった。犯罪に近いと言わざるをえない。岡田だって、「被害者」そのものだ。
 ただ、ここで、富樫リングアナが、「7回終了、岡田選手の棄権の申し出によりまして、坂田選手の勝ちでございます」とアナウンスすることができたら、どうだっただろう。あるいは、開会長が応援団に向って、「右目が見えないので、棄権させます」と大きな声で説明してくれていたら、応援団もあれほどは激昂しなかったのではないか。
 内田レフェリーは、「棄権」を不名誉なことと考えて、あえて開会長の申し出をあからさまには発表させなかったのかもしれない。しかし、だとしたら結果は裏目に出た。たいていの場合、「知らせないこと」は、悪くかんぐられるものだ。棄権は栄光でこそないかもしれないが、けっして不名誉なことではない。リングで正々堂々戦ったことが、不名誉であるはずがないのだ。観客によけいな疑念を持たせないためにも、レフェリー、そしてリングアナウンサーには、勝敗がどのようにしてついたのか、必要にして十分なだけの情報をはっきり観客に伝える義務がある(実際、アメリカやヨーロッパでは大抵の興行でそうしている)。
 ボクサー本人にも、できれば、つねに相手の名誉を重んじるフェアーなリングマナーをお願いしたい。命のやり取りをするリング上で、ボクサーにそんな心のゆとりがなくても仕方がないのかもしれない。しかし、実際に本望のような見事な態度を取れるボクサーもいるのだ。彼のような振る舞いをひとつの“作法”と日本ボクシング界に根付かせることはできないものか。それは、理屈としては簡単なことだ。「あいつも強かった」、「あいつも頑張ったんだ」「あいつは立派なボクサーだ」、そういう気持ちを示してくれればいい。それだけで、観客はものすごく救われるのだ。
 あの小松則幸−トラッシュ中沼戦の試合後、小松がリング上で見せた言動についても同様のことを思う。小松の態度は、一部で見られたひどい中傷に値するようなものではけっしてなかったが、悪意ある敵対者を黙らせるものではなかったこともたしかだ。人間にはそれぞれキャラクターがあるし、いかにも「ご立派」な態度じゃなくてもいい。ただ、勝利がすべて、自分の気持ちがすべてというのは、本当は、本当は、違うのだと思う。

 

*筆者から読者の皆様へ:
 小松則幸−トラッシュ中沼戦の際、当コラムにて「そこまでひどい採点ではないのでは」と書いたことで、メール等で「あからさまな地元判定を、うやむやにすることに手を貸そうというのか」というご批判を多数いただいております。もちろんそんなことはありません。私もやはり、中沼選手が負けにされたことはなるほど「不当」だと思っております。ただ、ジャッジの「主観」に対してこちらの「主観」をぶつける形で、「不当判定だ」と叫ぶだけでは、こういう現象を根絶することはできないと考えます。
 レフェリーやジャッジを務める方々は、いわばボランティアでこの職務をこなしていますが、暴力的な圧力をかけられたり、金銭などの賄賂を受け取っているわけではありません。それなのに、非常に頻繁に地元判定が起こるのは、業界の構造が、審判を務める人々に心理的な影響を与えているからです。この「構造」と「心理」を解明し、ある面では「構造改革」を行い、別の面では「心を強くしてもらう」ことが必要でしょう。この「構造」と「心理」について、今後綿密に取材・考察し、皆様にご報告・ご提案してまいります。私の仕事の「タイプ」もあって、いささか漸進的なものになるかもしれず、「スピードに欠ける」というご批判は甘んじて受けなければならないかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。

 


 粂川麻里生(くめかわまりお)
1962年栃木県生。1988年より『ワールドボクシング』ライター。大学でドイツ語、ドイツ文学・思想史などを教えてもいる。(写真はE.モラレスと筆者)

 

  コラム一覧 バックナンバー



(C) Copyright2003 ワールドボクシング編集部. All rights reserved.