キャッチ三浦の

アメリカン・シーン

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三浦  勝夫
(ワールド・ボクシング米国通信員)
M.A.バレラと筆者

 

私的レフェリー観 − その1

 世界中「リング上の第3の男」といえば、もちろんレフェリーのことと決まっている。熱戦、凡戦、打撃戦、技術戦……とリングの戦いを見続けていると、レフェリーの役割というか、極端に言えば“演出力”が試合を見た満足度を左右しているような気にさせられてしまう。世界戦などの試合レポートを書いていると、よく「絶妙のタイミングでヒットしたカウンター」とかという表現を使ってしまうが、我々がレフェリングを評価する時にも“止めるタイミング”は重要チェックポイント。ストップの早い遅いで、見応えのある試合が後味の悪いものに変貌してしまうケースもある。

 なぜレフェリーのことを書きたくなったかというと、最近テレビで観戦した試合で首を傾げたくなるシーンに遭遇したからだ。2戦ともHBOのライバル、ショータイムで放送されたものだが、一つはプエルトリコのホープ、カルロス・キンタナの試合。キンタナについて少し触れると、この無敗選手はアマ時代からずっとトリニダード・シニアのコーチを受けていたのだが、フリー宣言をしてこれが約1年ぶりの登場。その一戦キンタナは前半、ブランクの影響か、やや切れを欠くものの、地力を発揮して相手の黒人選手からリードを奪っていく。確か6ラウンドだと思ったが、キンタナのラッシュでグロッギー気味になった相手を救った……と思った瞬間、レフェリーは(スタンディング)カウントを数え始めた。テレビ解説者は不可解さを表したものの、すぐに「この試合にはスタンディング・カウントが適応されています」と注釈を加える。試合は終盤に入り、相変わらずキンタナ・ペース。相手はギブアップ寸前というか、レフェリーストップを心待ちにしているような表情で対峙するだけ。そして最終回も残りわずかとなった時点で、キンタナは再び猛アタックを敢行。レフェリーが割って入った瞬間、誰もがキンタナのTKO勝ちと思ったに違いない。ところがである。この主審は何とまた、スタンディング・ダウンを適応したのだ。結局、再開直後に終了ゴングが鳴り、判定勝利は動かなかったものの、キンタナはKO勝ちを一つ損してしまった。

 もし、その当直レフェリーになぜ止めなかったと聞けば、きっと「私は自分の職務をまっとうしたまで。この州ではスタンディング・カウントが認められている」と答えただろう。一見、そう反論しそうな、すごく生真面目な印象が彼にはした。だが、世界の、そしてアメリカの趨勢は、少なくとも最後の場面で止めるのが妥当であろう。健康管理の面でも当然そうだが、勝負のコントラストをつけることやボクシングの醍醐味を味合わせるためには、そうした“演出”もぜひ考慮すべきである。

 逆にあまりにも早いストップに不快感が残る試合もある。それがもう一つのWBO・S・ミドル級王者ジョー・カルザギ対前WBA同級王者バイロン・ミッチェル戦。この試合はワールド・ボクシング誌8月号にもレポートが記載されているが、ダウン応酬というスペタクル性も楽しめただけに、たとえ結果が同じに終わっても「もう少し見せてほしかった」と泣きが入りそうな気分にさせられた。以前、日本で、激闘男として名を馳せたある元チャンピオンにインタビューする機会があったが、彼は「ストップは早いに越したことはないですよ」と意外な言葉を残したものだ。しかし、やはり物には限度というものがある。ミッチェルのダメージはそれほど深刻には見えなかったのは筆者だけだろうか。

 こんな風に、レフェリングに関してとやかく文句を言いたくなる性格なのだが、個人的に彼らと接すると、何と好人物の多いことか。瞬く間に彼らに抱いていたイメージが払拭されてしまうのだ。実は先日、住んでいるサンディエゴで、ラスベガスの名レフェリーの一人、ジェイ・ネイディー氏にバッタリ会ってしまった。同氏については、論議を呼んだコーシャ・ヅー対ザブ・ジュダー戦の結末から個人的に「あのストップは早過ぎた」と唱えていたクチで、またリングサイドで試合を撮影する時、彼は「カメラの紐を必ず首にかけること」と強制するので「口うるさい人」というイメージを持っていた。だが、立ち話でも彼の内面に触れると、レフェリング対する真摯な態度が鮮明になり、実に好感の持てる人であることが分かった。もう一人、ジャッジとして何度か来日しているメキシコのヘラシオ・ペレスというレフェリーがいる。この人に対しても「世界一ストップの早いレフェリー」と自分で思い込んでいたのだが、メキシコ滞在中、食事をごちそうになったり、運転手役を引き受けてくれるなど非常にお世話になり、感謝感激している。

 総じて元現役ボクサーだったレフェリーの方が試合を止めるタイミングが早いような印象がする。筆者は「以前自分が文字通り肌で体得したものを考慮して選手たちを保護している」と勝手に思い込んでいる。ペレス氏も昔、メキシコランカーだったと聞いているし、もう引退した、あのリチャード・スチール氏もプロ選手だったと聞いている。後にスチール氏の代名詞ともなったタイソン−ラドック戦やチャベス−テーラー戦のラストシーンを思い起こすと、選手擁護派の一面が顕著に見られる気がしてならない。

 個人主義の国アメリカではレフェリングも千差万別のような印象がする。例えば、選手の犯す反則や負傷に対して機敏に反応できないモタモタ派もいる。その点日本のレフェリーの方が何事にも統制が取れ、キビキビと対処するようにも感じられる。そういえば、ボクシングをファンとして見始めた時、新聞や専門誌などで見る森田健氏のスマートさが目に焼きつき、試合を“盛り上げている人”だと思っていたものだ。時が経って、アメリカやメキシコに世界タイトル戦のジャッジとして旅された同氏にお会いして感激したことが忘れられない。

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