リングサイド・ビュー

前田 衷

写真の話

 ボクシングの写真、特に「試合写真」には見る者を引きつける大きな魅力がある。それこそ、新聞に載った一枚のアクション・ショットが、一人の読者の目に止まり、ボクシング・ファンに変えてしまうことだって、ないとは言えないのである。何を隠そう、筆者自身のことである。これをアートと言っていいのか分からないが、少なくとも私はボクシングをテレビで見る前に、父が会社から持ち帰る新聞のスポーツ面に掲載されていた試合写真に「美」を感じ、このスポーツの虜になったのである。
 あらゆるスポーツ写真の中でも、ボクシングはサッカーとともに最も撮影が難しい競技ではないかという人がいる。私も同感である。リングサイドなど撮影場所を確保する困難さもあるが、それは別にしてもまず「いい写真」をモノするのが困難である。リング上の選手たちがパンチを交換している時、カメラマンはどこを一枚の写真として切り取るか−−一瞬のシャッター・チャンスを掴むことが実に難しいのである。だからこそ、チャレンジしがいがあるというもので、ボクシング写真を撮りたいという目的のために、写真学校を出てカメラマンになった人を、私は複数知っている。
 ボクシングの「いい写真」にもいろいろあるが、専門誌が要求する「いい写真」はハッキリしている。誌上で試合の素晴らしさを再現できるもの。ただ睨み合っているだけでも見る者に訴える力のある写真もあるが、パンチがヒットしている写真、中でもパンチが相手の顔面に食い込み、筋肉が痙攣して「グシャッ」という音まで聞こえてきそうな迫力あるショットなら、これは無条件で使える。ロッキー・マルシアノ−ジョー・ウォルコットの歴史的試合写真が有名だが、ただしそんな写真は滅多にお目にかかれるものではない。 編集する側としては、ダウンシーンも欲しい、特にKOで決着のつく試合では不可欠である。しかしこれは撮影ポジションによって運・不運があり、いつも期待できるとは限らない。撮影者の目の前で倒れたりすると、まず「いい写真」は諦めた方がいいだろう。モハメド・アリがソニー・リストンとの再戦で初回にノックアウト勝ちした時の、二ール・ライファーの傑作写真はあまりにも有名だが、仁王立ちしたアリが倒れた相手に向かって「立ってこい」と叫んでいる得意絶頂のポーズ、その反対側で写真を撮るのを諦めて呆然としているカメラマンの表情は忘れられない。
 先にも書いたように、「いい写真」は滅多に撮れるものではない。いくら腕のいいカメラマンでも、リング上の選手が睨み合いばかりで手が出ないのでは、開店休業も同然である。軽量級の試合が特に難しいのは、パンチのスピードの違いも影響するのだろう。軽量級の試合に馴れた日本のカメラマンに、アメリカで重量級の試合写真を撮影してもらうと、意外にパンチを交換するいいショットが何枚も撮れていたりする。

 「ワールド・ボクシング」創刊以前からボクシングを撮影している中井幹雄カメラマンは、スタッフの間では「巨匠」などと呼ばれているが、その写真の質において最高の腕前といっていいだろう。ボクシングを撮り始めてからすでに20年以上になるが、その間ほとんどの試合を担当してきた。新聞社のカメラマンだと、ローテーションTATSUYOSHI-TORRES.JPG - 14,034BYTESに従っていろいろな競技を担当するが(もちろん、芸能等競技以外の撮影もある)、専門誌は撮影者が限定され、しかも撮影しなくてはならない試合数はあまりに多い。その経験数においても、ボクシング写真は中井カメラマンの右に出る者はいないのである。
 彼はいわゆる「ボクシング好き」ではないが、だからこそしっかりした写真が期待できるということも言える。なぜか。筆者もボクシングの試合写真を撮ったことがあるから分かるのだが、通常ボクシングを知っている、あるいはリングに上がる選手の試合スタイルを理解している撮影者だと、シャッター・チャンスには自信があっても、「好き」であるがゆえに、ダウンシーンが起こるとついつい興奮してしまい、これが「手ぶれ」としてあらわれ、ピンボケ写真を撮ってしまうことが往々にしてある。その点、中井カメラマンは常に心騒がず、突発的事態に遭遇してもしっかりとシャッターを押し続ける。彼がじっくり撮影していいショットがなければ、そんな試合だったのだと諦めるしかないのである。
 ところで、試合写真の傑作は、そこに写し出されている「殴られる側」の選手にとっては愉快なものではない。気にしない選手もいるが、そうでない人もいる。ファイティング原田がジョー・メデルとの第1戦で敗れた名勝負を取り上げるたびに「また俺がやられているみっともない写真を使うの?」。原田政彦会長は半分冗談めかしながらも、暗に「やめてくれ」とプレッシャーをかけるのである。しかし、試合ショットが使えなくてはボクシング専門誌は成り立たないから、できない相談ではあるのだが・・・。
 滅多にないことだが、掲載した写真があまりにうまく撮れすぎて、パンチを浴びている選手の側から苦情を言われたことが過去にあった。帝拳の長野ハル・マネジャーと雑談の間にその話をしたところ、ひと言、「そんな写真に撮られるようなパンチをもらわなければいいのに」。分かりましたか、選手諸君−−?

 

  コラム一覧 バックナンバー



(C) Copyright2003 ワールドボクシング編集部. All rights reserved.