サンデー・パンチ

粂川 麻里生


 “ガキのおもちゃ”であるために

 12月14日、福岡で行われたくま大之伸−阿部元一の日本フェザー級タイトルマッチは、その判定をめぐって紛糾している。大騒動になりつつあると言ってもいいだろう。僕自身は、試合を見ておらず、ビデオさえまだ見ていないので、判定について個人としての見解を言うことはできない。ただ、多少の見解差はあるとはいえ、試合を観戦した大方の人々(ワールドボクシング誌記者を含む)が阿部の勝利を支持しているにもかかわらず、判定は3−0でくまの勝ちとまったく逆に出たことは事実のようだ。
 しかも、その採点というのが、牧角健次郎ジャッジ98─95、大藤隆幸ジャッジ97─94、福本元秋ジャッジ100─92という、つまり「ワンサイドでくま」というものだった。他の2氏も、立場は鮮明だが、福本氏の100−92というのは、もう「解釈」とか「立場の違い」という次元のものではないだろう。「インチキ」か「真面目に採点した結果」か、2つにひとつだ。ボクシングの採点について、なんらかの責任をおびている日本国内の機関およびマスコミは、可能な限りの調査をした上で、態度を鮮明にしなければならないだろう。
 阿部の所属するヨネクラジムは試合直後にJBC(日本ボクシングコミッション)に対し、再戦要求と3ジャッジのサスペンド、とくに福本ジャッジのライセンス剥奪を要求した。さらに今月19日には「日本ボクシングコミッション御中」と「マスコミ各位」の宛名で、「声明文および提案」も提出している。その原文は、一両日中に本サイトでも公表されると思うが、提案の趣旨は、「JBC内にマスコミ代表などの第三者を交えた『査問委員会』を設置し、その場でビデオ検討、審判員の処分などを行う機関とする」こと、そして、この査問委員会がレフェリング、ジャッジが公正に行われているかどうかを監視するとともに、意図的で悪質な偏向判定が行われた場合には、そのレフェリーやジャッジを罰することができるようにする、というものだ。この提案に対する対応次第では、「法的手段」も辞せずという強い姿勢で臨んでいる。
 現在、多くのスポーツ競技において、審判を監視する制度が整備されつつある。「ホーム」のチームの有利を制度的に認めているサッカーでさえ「買収されていた」と見なされた審判はサスペンドなり、永久追放になる。シドニー五輪重量級決勝で、篠原−ドゥイエ戦で誤審してしまった主審は(買収されたとは限らないのだが)国際ライセンスを剥奪された。裏を返せば、スポーツの審判というのは、監視しない限り、インチキをすることがありうるというのは、「前提」として考えなければならないだろう。政治家と官僚は腐敗するものであり、マスコミはスポンサーと権力に尻尾を振るものであり(「ワールドボクシング」は金とも権力とも関係がほとんどないから、とんちんかんなことを書いているとしたら、それは我々記者があんまり分かってないというだけのことです)、スポーツの審判はいともたやすく公正中立を失うものなのだ。実際、ボクシングの審判のほとんどがフェアで公正だった時代など、古今東西あったためしがない。観客にブーイングを浴びながら手を上げられる勝者を、僕らはどれほど見てきたことだろう。
 だから、悪質判定は何も今日始まった訳ではない。福本ジャッジが日本リング史上最悪のジャッジというわけでは全然ない。ただ、(インターネットを初めとする情報とメッセージの流通量の急増により)悪質判定に対して批判が届きやすい時代になったということなのだろう。
 僕のところには、さまざまなご意見やご批判のメールが届くが、先日は「九州のジャッジは、以前から酷いものでした。名古屋もそうです。それがのさばり続けていたのは、ワールドさんを含むマスコミの責任も大きいと思います。こういうときだけ声が大きくなり、正義漢ぶる人たちにも、大いに疑問を感じます」というご意見を頂戴した。ある意味ではおっしゃる通りだ。僕らをはじめとするボクシング・マスコミは、おかしな判定があっても、「疑問の残る判定だった」、「観客席からは、応援団以外からもブーイングが起こった」くらいしか書けないことも多かった。
 しかし、判定というものが、結局のところ主観に基づくものであり、「誤審もまたジャッジメント」という精神がなければ、スポーツの試合が難しくなる(柔道の篠原−ドゥイエ戦も、「誤審」と認められたが判定は覆らなかった)ということもあって、ある方向に徹底して議論をもっていくのは難しくもあり、危険でもある。(逆に、僕は自分個人のサイトでは、しばしば自分の採点を公表するが、たいてい「幻滅しました」、「ボクシングというものを根本から勉強しなおしたほうがいい」というようなメールをもらってしまう。言ってみれば、そんな僕が書く記事なのだ。少し自重しながら書くことも必要だろう)。
 そんな中、ヨネクラジムが今回きわめて鮮明な態度で、具体的な要求と提案を掲げながら強い抗議を提出したことは、日本ボクシングの未来を拓く上で、よいきっかけとさせていただきたい行動だ。「審査委員会」は絶対に必要である。万難を排して、設置すべきだ。こういったものがない限り、「ボクシング界は、本音ではインチキ判定を野放しにしたいのだ」と言われても仕方ないだろう。審判はしばしば腐敗する。マスコミにも残念ながら限界はある。しかし、コミッションと、マスコミと、業界と、ファンとが、互いに意見を出し合い、互いに監視し合い、批判し合う制度と文化を築くことができるなら、日本のボクシングは一歩泥沼から抜け出せるかもしれない。
 本来、プロスポーツとは「大人も楽しめるガキのおもちゃ」であるべきはずだ。「○○と○○、どっちが強いと思う?」、「そうだなあ……○○! あいつの左ダブルはすげぇよ」そんな会話が一番楽しいものでなくてはならない。今、ボクシングファンの話題の第一は何だろうか。およそ「ガキのおもちゃ」の興奮からは遠いことだけは間違いない。「おもちゃ」たりえない文化は、遠からず滅びるだろう

 


 粂川麻里生(くめかわまりお)
1962年栃木県生。1988年より『ワールドボクシング』ライター。大学でドイツ語、ドイツ文学・思想史などを教えてもいる。(写真はE.モラレスと筆者)

 

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