サンデー・パンチ

粂川 麻里生

もう一度、ルールが守られる“空気”を

 あらためて言うまでもないことだが、ボクシングにはルールと言うものがあり、そのどれひとつとして、「なあなあ」ですませてよいものはない。生命さえ危険にさらすこともある格闘技だし、基本的に殴りあうという行為である以上、定められたルールをきっちり守らない限り、尊厳を失い、存在を許されないものにさえ堕しかねない。しかし、最近の後楽園ホールでは、ボクシングのルールがまるで自動車運転の速度制限か、未成年の飲酒に関する法律のように、その場の裁量次第でどうとでもなるかのように扱われている。
 今月2日のリッキー☆ツカモト対片淵剛太の10回戦では、最終ラウンドに片淵がスリップダウンをした際に、宮田ジムのセコンドがTKOと誤解してカウント中にリングに入ってしまった。この時点で、ルールによればツカモトの失格負けである。しかし、レフェリーは試合の続行を許し、ツカモトの判定勝ちがオフィシャルな結果となった。
 昨日の日本S・フライ級タイトルマッチでは、2回、チャンピオンのプロスパー松浦に挑戦者川端賢樹がローブローを見舞い、松浦がひるんだところを川端が乱打して、ダウンを奪った。ローブローを見逃したのはレフェリーのミスだし、さらに、カウントが入っている際、川端はニュートラルコーナーに戻らず、再開後はいきなり松浦に殴りかかった。松浦が後ろを向いてしまっても、レフェリーは川端の追撃を認めていた。結局、松浦はさらに2度のダウンを追加されて王座を失っている。川端にはなんの責任もなく、むしろ見事な試合だったと思うが、レフェリーは「なぜだ」と言いたくなるほど、多くの責任を放棄していた。 両試合とも、「ルールを厳密に適用していれば、勝敗は逆になっていた」と思わせるような試合だったわけではない。しかし、試合が別の展開になった可能性も否定はしきれないし、進行がルールにのっとっていない以上、最終的にくだされたオフィシャルの勝敗判定にも権威がなくなってしまう。
 レフェリーの気持ちも分かるような気はする。ツカモト−片淵戦で、セコンド乱入の瞬間に「反則負け」を宣するのは、度胸がいる。おそらく、ツカモト陣営はもちろん、多くの観客も怒るだろう。後味の悪さが残り、せめて「ボクシング」で勝敗がついてもらいたかった、と誰もが残念に思うはずだ。しかし、それはレフェリーのせいではない。どれほど残念な結果であっても、ルールはルールだ。そして、ルールの番人たりうるのはレフェリーしかいないのである。レフェリーは、ルールにのっとって試合をさばくことと、選手を不必要に危険にさらさないこと(松浦は、本来受けなくていいはずの追撃を後頭部に受け、大きなダメージを受けた)が、何よりも大切な義務なのだ。
 ルールを厳密に適用することは、エネルギーと勇気のいることだ。時に、セコンドや観客の一部を敵に回すことさえあるだろう。しかし、空気をゆるめると、いつのまにか「なし崩し」的にルールが守らなくてもよくなってしまうかもしれない。ツカモトのセコンドが結局は反則を取られなかったことで、今後もリングに飛び込んでしまうコーナーメンが出現する可能性を大きく残してしまった。いけないのは、試合がなんだか間のぬけたものになってしまったことだ。ルールに権威がなくなれば、そのスポーツ自体にも威厳がなくなる。緊張感もなくなる。ボクシングに威厳と緊張感がなくなったら、粗野な殴り合いにすぎない。金を払ってまで見るものではなくなる。
  マイク・タイソンの出場する試合などは、大きな金の動く興行だし、できれば「まともな結末」で終わって欲しい、と関係者は皆強く思っているはずだが、実際にはしばしば反則によって試合が終わった。その都度のレフェリーたちは「あーあ」と思ったことだろうが、試合を(即座に!)ストップし、「残念な結末」を宣告してきた。ボクシングは、客の「もう一丁!」コールで判定を覆して試合を再開するプロレスのような営為ではないのだ。日本は、風土的にアメリカほどルールを徹底させないところがあり、それは意味がある場合もあるとは思うのだが、ルールの不徹底は直接に「ボクシングの崩壊」へとつながっていくことは忘れないでほしい。
  もちろん、コミッションはその都度、反則を看過したレフェリーや反則をおかした選手、セコンドに注意を行なっているようだが、我々マスコミや、ファンにも、ルールが守られる「空気」を作り、守ることが要求されるだろう。レフェリーがルールにかなった判定を下した場合は、それがどれほどがっかりさせられる結末であっても、まあ仕方がないことなのだ。少なくともレフェリーのせいではない。レフェリーにはたしかに「神の代理人」としての崇高な責任があるが、現実にはひとりの弱い人間だ。彼らに本来の仕事をしてもらえるよう、僕らも雰囲気作りをしよう


 粂川麻里生(くめかわまりお)
1962年栃木県生。1988年より『ワールドボクシング』ライター。大学でドイツ語、ドイツ文学・思想史などを教えてもいる。(写真はE.モラレスと筆者)

 

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