サンデー・パンチ

粂川 麻里生

強く望まれる“誠実な”ジャッジ

 8月3日、福岡・宗像ユニックスで行われたダブルタイトルマッチのうちの一試合、大之伸くま対藤原直人の試合は、パワーと体力でプレッシャーをかける大之伸と切れ味のいいボクシングで対抗する藤原の拮抗で、白熱した一戦となった。僕の印象では、中盤リズムに乗った藤原がラウンドをいくつか立て続けに奪ったが、大之伸は挑戦者の疲労に乗じてじりじりと盛り返し、9回ついに決定的なダウンを奪って防衛を決めた、というような内容だったと思う。しかし、ジャッジの採点は、100-90、99-92、99-91という、限りなくフルマークに近いものだった。この採点に納得している人は、大之伸の熱烈な支持者にさえいないだろう。
 ジャッジをしていた方々にあえて問いたいが、もう、最初からまともな採点などするつもりはなかったのではないですか。よほどワンサイドで挑戦者が押しまくらない限り、ポイントは大之伸につける、そう決めていたのではないですか。自分のボクシング観、審判技術、公正を守る心に照らし合わせ採点した結果がこうだったのだ、というジャッジが3人の中にもしもおられるなら(今回は、あえて名指しでの批判は避けます)、どうか私にご一報ください。(mario@myad.jp
  もちろん、こういうベタなホームタウンデシジョン(反論をいただくまで、とりあえずそう決めつけさせていただく)は、古今東西いくらでもあった。しかし、これからの日本ボクシングでは、こういう採点は駆逐されねばならない。というのも、現在の日本には世界ランカーレベルと言っていいボクサーが比較的多く存在し、しかもそれが全国に散っているのだ。かつてのように、地方のボクサーが東京に、後楽園ホールに“挑戦”しに上っているという図式はなくなった。北海道にも、名古屋にも、近畿にも、九州にも優れたボクサーがいる。
 各地のジム経営者やボクサーの皆さんの努力で、裾野がこれだけ広がったのは素晴らしいことである。
しかし、それだけにそれぞれの地方の審判の意識向上が強く求められる。今のままでは、各地域間でジャッジに対する不信感が膨張する一方で、地域間の交流から生まれる好カードが減ってしまう恐れがある。また、ボクシング・ファンもそれぞれの地域の試合しか見られない場合がほとんど(テレビでさえ)だから、「○○地方のジャッジは信用できない」ということになれば、せっかくその土地からチャンピオンが生まれても、他地域で評価されなくなる危険もある。九州の日本チャンピオンがホームタウンデシジョンで保護されても、日本ボクシング全体が沈没したら、いずれ元も子もなくなる。これからのジャッジ諸氏には、せめて少しだけでも「日本ボクシング界全体のために」という意識も持って、「誠実に」採点に当たっていただきたい。
 ここで「誠実」と言ったのは、ジャッジの皆さんに 「完璧な公正さ」を求めたいというのではない。完璧に公正な判定など、人間には求められないだろう。「自分は完全に中立な見方をして、この試合を見た」などという人がいたら、何か勘違いしているといわざるを得ない。たとえば、佐竹政一と坂本博之の(関西×関東対決の)一戦では、最終回に佐竹がノックアウト勝ちを収めていなかったら、判定で坂本の手が上がる可能性があった。これを「ひどい偏向ジャッジ」という人がいる。僕も、ある意味ではそう思うが、このジャッジはそれなりに「誠実」ではあったのだろう、とも思う。会場には、「あれだけ頑張ってきた好漢坂本にもう一度世界へのチャンスを」という気分が満ち満ちていた。ジャッジをつとめた人々も、坂本のことをよく知っていた。ジャッジの心とは別に、東京のボクシング関係者として「坂本が勝つといいなあ」という気持ちが心のどこかにあったのではないか。多少なりとも、それにひきずられることがあったとしても、それは審判技術の未熟さであって、「誠実さに欠ける」ものではないと思うのだ。ジャッジ諸氏は、「坂本がやや優勢では」と、本当に思ったのだと思う。
 翻って、大之伸−藤原戦のジャッジ諸氏は、本当に「大之伸のフルマーク」と思ったのだろうか? 僕が問題にしたいのは、その意味での「誠実さ」だ。審判も人間だ。ある種の間違いはある。見方が偏ることもあるだろう。しかし、それでも可能な限りの公正さを目指す「誠実さ」があってほしい。そんな人間的努力が、ファンのリングに対する気持ちをしらけさせないようにしてくれると思うのだ


 粂川麻里生(くめかわまりお)
1962年栃木県生。1988年より『ワールドボクシング』ライター。大学でドイツ語、ドイツ文学・思想史などを教えてもいる。(写真はE.モラレスと筆者)

 

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