サンデー・パンチ

粂川 麻里生

 ビビっていたデンプシー

 僕がドイツ語を教えている大学1年生のイナサカさんは、ちっちゃくて、野ウサギのようなかわいい顔立ちをしていて、見ようによっては中学生に見られても不思議はないようなお嬢さんだが、そんな彼女が先日驚くような質問をしてきた。「先生、フリッカー・ジャブとはどういう技ですか」。僕は思わず三歩後ずさったが、「先生」としては、ここはやはりきちんと教えなくてはならないと思い、「そうですね、flicker というのは、ちらっ、ちらっと瞬くような光を放つことです。フリッカージャブというのは、(身振りをまじえて)普通のジャブよりも低いところから浮かび上がるように、しかも速いジャブを打つことです。そういう打ち方をすることで、相手にとっては非非常に見づらいジャブになり、まるで火花のように瞬間的にヒットするような印象になる」。体重90キロを超える僕が、たぶんその半分もないちっちゃな娘さんに、下手くそな身振り手振りで「フリッカー・ジャブ」を説明している光景は、我ながら思い出してもおかしいが、新たなボクシングファン獲得のために「熱演」した。すると、イナサカさん、「よくわかりました。じゃあ、“スマッシュ”というのは? 」さらに、「デンプシー・ロールっていうのも本当にあるワザなんですか? 」と立て続けのご質問だ。聞けば、彼女はJBスポーツジム・オーナーでもある森川ジョージ氏の漫画「はじめの一歩」の愛読者で、この作品に「フリッカー」とか「デンプシー……」という言葉が出てくるらしい。これらの「用語」が実際にはどういうパンチの種類を意味しているのかが分からず、僕がボクシングライター「でもある」と知って、ぜひ聞いてみたいと思ったのだという。
 イナサカさんの熱のこもった尋ね方に心動かされた僕は、翌週、トーマス・ハーンズ(フリッカー・ジャブ)と、レーザー・ラドック(スマッシュ)とジャック・デンプシーのビデオを教室に持ち込んで、ドイツ語の授業の後「上映」した。イナサカさんは、小さな眼鏡をかけた顔をモニターにこすりつけるようにして見ていたが、「うーん、どれも凄いですが、やっぱり、デンプシーが一番強烈ですね」と頬を上気させてため息をついた。
 じつは、その横で僕自身も、「うーん」とためいきをついていた。めずらしい「相棒」とビデオを見たせいか、今まで何度見たか分からない1919年のデンプシー−ウィラード戦がこれまでと全然違う印象で迫ってきたのだ。
 僕が、これまでこの試合に対して抱いていた印象は、「ヘビー級ではじめてブルファイターのスタイルと打ち抜く左右フックを完成させたデンプシーが、大きいだけで旧式のボクシングしか知らない、鈍重なウィラードを一方的に打ち破った
」というものだった。
 しかし、どうだろう。あたらめて見てみると、試合開始ゴングがなった直後のデンプシーは、ほとんど前に出ることができず、ウィラードがその長く太い腕で右ストレートを打ち下ろそうとすると、右にひらり、左にひらり、ほとんど背中を見せんばかりに逃げまくっているではないか。いったんそういう目で見始めると、デンプシーは明らかに、ふたまわりも体の大きいウィラードの前進をおそれている。ほとんどびびっていると言っていい。やはり、ジャック・ジョンソンをノックアウトした“グレート・ホワイト・ホープ”ウィラードはスーパースターであり、無名のデンプシーは明らかに気圧されていたのだろう。
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 しかも、時折放つウィラードの右が、速くて強そうなこと! もちろん、コマ数の少ない当時の映像では実際のパンチのスピードを感じ取ることはできまいが、それでもデンプシーの伝説的な左右フックと比べても、むしろ速いくらいだということは分かる。これだけの巨体から放たれる、これほどの猛打! 事実、この右で大豪ジョンソンが壊滅しているのだ(僕は、以前から、あの試合は八百長とは思っていない。30歳代も半ばのジョンソンが、八百長をするために25ラウンドも戦うだろうか。パンチも、完璧にヒットしている)。若きデンプシーが極めて繊細なスタートを切ったのは、思えば当然のことだった。
 僕たちは、すでに結果の分かった試合や歴史的なファイトをビデオやフィルムで見るとき、「結果」からその映像を理解してしまうことが多い。しかし、試合とはつねにリアルタイムのものであり、とりわけ戦っている当人たちは、各瞬間において恐怖、緊張と戦いながら勝利を模索しているのだ。「リアルタイム」の目で見ようと意識すると、「結果を知った目」で見ていたときとはおよそ違うものが見えてくることがある(何度もビデオを見ているうちに、自分なりの採点がかなり変わってしまうこともよくあることだが、時間がたつほど「リアル感」が失われるから、という理由もあるだろう)。
 ボクシングの試合は、けっして言葉で語られるために生まれるわけではないし、選手たちはビデオに撮られるために戦うわけではない。ビデオや言葉は、後から追いかけてくるものであり、それにつかまることで試合は「歴史」になるのだ。しかし、歴史はけっして「リアル」ではない。何かをきっかけに、歴史的記録(史料)がそれまでとはまるで違う意味を持って見えてくることがある

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