夢かうつつか、酔いどれ記者が行く  芦沢 清一
『 酔いどれ交遊録 』


 金平正紀会長

 清濁合わせて飲む大河のような人物

 
 極東ジムの小高会長が、死ぬまで敵対視した協栄ジムの故金平正紀会長。ご両所はまさに水と油の合い入れない仲だった。強いて分類すれば、緻密な理論をバックボーンに、考えの合わない人を弾いてしまうのがピュアーな油の小高さん。清濁合わせ呑んで流れる大河の水に例えられるのが、金平さんといえるかもしれない。
 小高さんは微細にわたる理論的なコーチで、沼田義明を世界チャンピオンにした。世界に関しては沼田1人だけ。これに対して金平さんは、技術論を第二義に置き、むしろ心理操縦で選手をその気にさせ、8人半の世界チャンピオンをつくった。
 半というのは、協栄ジム9人目の世界チャンピオン佐藤修が、亡くなった金平会長と、ジムを継いだ長男・桂一郎会長の合作だからである。佐藤は世界タイトルを取った翌日の記者会見で「亡くなった会長のアドバイスが役に立った」と語った。
 佐藤がヨーダムロン・シンワンチャー(タイ)を8ラウンドKOに破って、WBA世界スーパー・バンタム級タイトルを奪取した試合で生かした故金平会長の遺訓は「勇気を持って戦え」というものだったという。やはり技術論ではなく、精神論だったのである。
 金平さんが次々に世界チャンピオンをつくって行く過程で、選手を強く育てるコツを聞いたことがある。「選手の欠点をあげつらわないで、長所を褒めて伸ばしてやることです」というのが答えだった。
 それを確かめる意識を持って、ジムで練習を見ていたところ、確かに金平さんが選手を叱る図は見られなかった。叱られるとしたらトレーナーだ。間接的に選手に注意を喚起していると解釈できないこともなかったが…。
 ともかく金平さんは、独特の創意で選手を乗せるのがうまかった。その極め付けは、具志堅用高に“100年に1人の男”のオーバーな呼称を与え、徐々に本人をその気にさせたことだ。
 普通、ボクサーの異名はマスコミが付ける。例えば沼田は精密機械。そのライバルの小林弘は雑草の男。協栄ジムでいえば、世界チャンプ第1号の海老原博幸は、切れ味鋭いブローをカミソリパンチと称され、外国で初の世界タイトル奪取をやってのけ、無名から一夜にしてヒーローになった西城正三にはシンデレラボーイ。これらすべての異名はマスコミが付けたものだ。
 ファイティング原田など、リングネームを会長が付けるケースは多々あるが、弟子に異名を付けたのは金平さんぐらいのもの。沖縄興南高を出て大学進学予定だった具志堅を強引に横取りした金平さん。デビュー前からマスコミに対して“100年に1人の男”のキャッチフレーズを売り込んだ。
 私だけでなく大方のマスコミが、大風呂敷だと認識していた。結果的に具志堅は、100年以内には破られないだろう13回連続防衛を成し遂げる。この件に関しては金平さんの勝ちだった

 

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