夢かうつつか、酔いどれ記者が行く  芦沢 清一
『 酔いどれ交遊録 』


 「池田会」の長男格、みつひらいさむ氏

 当初はビクトリージムのマネジャーで、後に埼玉池田ジムの会長になる池田伸夫氏の求心力で、ゴルフを楽しむための「池田会」が生まれたのは、池田さんがまだビクトリージムのマネジャーだったころである。
 会の長男格が、極東ジムの三平勇会長だった。今、日本プロボクシング協会が発行する全国のジムの会員名簿を紐解くと、この人は「みつひらいさむ」と登録されている。
 なぜ、こんなやわっこい名前を語るのだろうか。本人に聞いたことはないが、推測するに、極東という大時代的で、怖いイメージのあるジムを引き継いで、少しでも和みのある会長名にしたかったのではないだろうか。
 小高伊和夫会長(故人)のもとで、元世界ジュニア・ライト級チャンピオン沼田義明をはじめ、数々の東洋、日本チャンピオンを輩出している極東ジムは、名門に数えられる。
 ただ、名前ゆえの誤解もあるようだ。確かに、半世紀前の極東ジムは、無法者の戦いに巻き込まれたこともあったようだ。このジムから東洋ライト級チャンピオンになった故秋山政司さん(元報知新聞記者)が「ジムの合宿所に住んでいたんだけど、間もなく殴り込みがあるから、
用意しておけと言われて緊張したことがある」と話してくれたことがある。
 私がボクシングを担当したのは、そんな事件があった後であるが、結構、その名残はあった。それは後日談にとっておき、名門を引き継いだみつひら会長の本題に戻ろう。
 残念ながら、大きな実績、つまり日本、東洋チャンピオンの育成で実績を残していない。1つに、7年かあるいは8年前になるか、みつひらさんは脳梗塞で倒れたのである。
 その快復の度合いがままならないうちに、「池田会」ゴルフコンペに出掛けることになった。酔っ払って都内のカプセルホテルに泊まった私も、その要員だった。
 みつひらさんの家を出る前に「汽車で行きなさい」「汽車で行こう」と夫人と私が説得したが、みつひらさんは車の運転を頑として譲らなかった。
 こうして私が生きている以上、あの無謀な旅立ちにも、何割かの生存率はあったわけだ。(右:メキシカン・ポンチョ姿のみつひら氏)


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