N O S T A L G I A vol.1


 
42年前の祝勝会から


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 野口ジムは今から半世紀以上前の1950年に”ライオン野口”こと野口進氏が創設した老舗ジムである。今は吉野弘幸、鈴木誠の元王者が所属し、三代目の勝会長らが新しい感覚で切り盛りする若々しいジムの観があるが、その足元にはどっしりとジムの歴史が横たわっている。
 この写真は1961年に永田耕造が日本バンタム級の新チャンピオンになった直後の内輪の祝勝会で撮影されたものだが、ここに写っている錚々たる顔ぶれには、改めて日本ボクシング史に占める「野口一門」の存在感の大きさを感じさせる。
 前列左から野口恭(当時日本フライ級王者)、野口里乃(先代会長夫人)、金平正紀(野口ジムOBで金平ジム会長)、後列左から野口修(野口プロ代表、後にキックボクシングを普及)、佐々木民雄(野口ジムOB、東邦ジム主宰)、海老原博幸(後世界フライ級王者)、高橋美徳(後東洋ウェルター級王者)、永田、そして三迫仁志(野口ジムOB、三迫ジム会長)の各氏。海老原を連れてジムを起こした金平氏の協栄ジムは9人もの世界王者を出して「日本一のチャンピオンメーカー」となり、三迫氏の三迫ジムも看板選手第1号の高橋以降、輪島功一ら3人の世界王者を育てた。野口一門の孫弟子ともいうべき高橋氏が主宰する国際ジムからはロイヤル小林ら3人の世界王者が誕生している。金平、三迫両氏はそれぞれ全日本ボクシング協会会長の要職を務め、今は高橋氏が協会事務局長のポストにある。


● 今日は何の日? ●

MAY

17日 シュガー・レイ・レナード、米ノースカロライナ州に誕生(1956)
LEONARD.JPG 18日 名古屋の世界バンタム級タイトル戦で、ファイティング原田
    が不敗のエデル・ジョフレを破り2階級制覇(1965)
19日 東京・後楽園球場で行われた世界フライ級タイトル戦で、
    白井義男がダド・マリノに判定勝ちし、日本人初の世界
    チャンピオン誕生(1952)
20日 韓国・ソウルで行われたWBC世界S・フライ級タイトル戦
    で、王者徳山昌守は前王者曹仁柱をKO撃退しベルト堅守
    (2001)
21日 山口圭司、カルロス・ムリーリョに判定勝ちし、WBA世界
    J・フライ級チャンピオンとなる(1996)
22日 札幌のWBA世界J・フライ級タイトル戦で、具志堅用高、リゴベルト・マルカーノに
    判定勝ちし、2度目の王座防衛に成功(1977)
23日 ミドル級の名王者マービン・ハグラー、米に誕生(1954)。
    同じくバンタム級のKOキング、カルロス・サラテがメキシコに誕生(1951)

 

OLD TIMERS' 

AKANUMA.JPG - 7,016BYTESチャンピオンの死
「和製デンプシー」赤沼さん 

 

 昭和20年代後期に活躍した元日本フェザー級チャンピオンの赤沼明由さんが「2、3年前に」死亡していたことが、関係者の調べで最近になって明らかになっている。ただし、享年がいつなのかは分からない。
 赤沼さんは宮城県出身で、革新拳からデビュー(昭和24年)。27年9月、大阪球場で当時日本王者の後藤秀夫に2度目の挑戦を試み見事7回TKO勝ちしてタイトルを獲得した。その強打者ぶりから「和製デンプシー」とも言われたが、当時を知る矢尾板貞雄さんに聞くと、「とてもうまい選手だった」と少しイメージが異なる。このタイトルは7カ月後28年4月、初防衛戦で田中昇(京浜)に判定負けして無冠となる。その後田中との再戦、さらに大川寛、ライト級に上げて大越利晴にも挑んだがついに再びベルトを巻くことは叶わなかった。
 引退後は東京・大井町でスナック「チャンピオン」を営んでいたが、いつの間にか郷里に近い岩手県盛岡市でやはりスナックのマスターにおさまっていた。しかし、数年前に夫人を亡くし、自らも2、3年前のある日、店で絶命しているのが、同業の知人らに発見されたということだ。これが正しければ、赤沼さんは昭和5年生まれだから、亡くなったのは70歳前後だろうか。
 以上は、盛岡市の佐々木達彦氏に調べてもらったもの。さらに詳細が判明すれば、追ってご報告したい。

 

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