ショーセイの新米ジム会長奮戦記

新田 渉世 
(元東洋太平洋バンタム級王者)


  プリンス

 「何?!来月で30歳だと?!」―思わず大声を張り上げてしまったのは、プロ志望のI君が、もうすぐプロテスト受験資格年齢をオーバーしてしまうにもかかわらず、ニコニコしながらのんびり構えていたからだった。彼は新田ジム入会前から、我流でトレーニングをおこなっていた為、割と早いペースでレベルアップしてきたセンスの良い逸材だった。年齢的に選手として大成するのは難しいかもしれないが、「やれるところまでやろう!」と、日々練習に励んでいた。ボクサー志望とは思えないようなスラっとした体躯と、上品な風貌から、“星の王子様”とか“プリンス”というあだ名がつけられていた。ちなみに“プリンス”は、私がつけたあだ名で、プロになったらリングネームにしようと考えていたが、彼はとても嫌がっていたようだ・・・。
 そのプリンス君、何を勘違いしていたのか、プロテスト受験資格は「31歳の誕生日まで」と思い込んでいたらしい。彼の誕生日を、しっかりチェックしていなかったジム側も悪かった。当時の彼の実力では、テストに合格出来るかどうか微妙なところだったが、現在、受験申請してから実際のテスト受験まで約3ヶ月間の待ち時間がある。その間、みっちり鍛え抜いてゆけば十分勝算はあった。彼にとっては、最後のチャンスなのだ。私は大急ぎでテスト受験申請をおこなった。
 仕事が多く、毎日密着して指導が出来ない私は、孫トレーナーに彼の担当を任せることにした。パワーとスタミナが不足していた彼に、孫トレーナーは毎日激しいトレーニングを課していった。その甲斐あってか、徐々に彼のパワーとスタミナがアップしていった。
 しかし、生来の繊細さと、年齢に挑戦するハードトレーニングと、その年のインフルエンザ等が折り重なり、プリンスは大きく体調を崩してしまった。特にこの年の風邪は長引く厄介なタイプで、とうとう彼は後半のトレーニングを十分こなせないまま、テスト受験の日を迎えなくてはならなかった。
 結果的に、彼はプロテスト不合格に終わり、“プリンス”のリングネームは日の目を浴びることがなかった。どっちみち彼は「そんなリングネーム嫌ですよ!」と頑なに拒否していたが、彼自身のひとつの夢が幕を閉じてしまったことだけは、悲しいけれど現実だった。私は、彼の最後の戦いに十分参加出来なかったことを後悔した。例え結果がどうであれ、肝心なのは自分自身なんだとは言え、もっとプリンスとともに戦いたかった。
救いとなったのは、彼が「まだボクシングを続けます」と言ってくれたことだった。プロテスト後、しばらくジムに顔を出さなかったプリンスが、再び練習生としてカムバックし、アマチュア選手として試合に出場するようになった。相変わらず、ニコニコのんびりしているが、新田ジムには欠かせないキャラと存在感を確立している。残りのボクシング人生を、充実したものにしてくれることを願っている。

 新田ジム 最新情報

・ 4/29(木)みどりの日におこなわれた「平成16年度・横浜市民体育大会ボクシング競技会」にて、清水開、黒田雅之が判定勝ちをおさめ、古橋大輔は残念ながらRSC負けを喫してしまいました。
・ 5/25(火)後楽園ホールにて、清水遊、山口陽司、野田峻、當山清隆、4名のプロテスト受験が決定致しました。

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新田渉世(にった・しょうせい) 
87年、横浜国大2年の時にプロデビュー。96年10月にOPBFバンタム級王座を獲得し、「国立大卒初の王者」としても話題となった。
34戦23勝(17KO)9敗2分

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