ショーセイの新米ジム会長奮戦記

新田 渉世 
(元東洋太平洋バンタム級王者)


 金も力もないジムは……

 

  日本ボクシング協会の規約では、プロボクサーは基本的に他のジムへの移籍は禁じられている。やむを得ない場合は双方ジム会長の承諾が必要とされ、以前所属していたジムへ移籍料が支払われるケースが多いようだ。
 プロボクサーでなければ、ジムの移籍は基本的に自由になっている。しかし―、心情的には、手間暇かけて面倒みた練習生が、「あっちのジムへ行きたい。」と去って行った日にゃ、やっぱり悲しいものがある。経営的にも月謝がひとり分減るわけだから、深刻な問題である。自由競争の世界では、より良いサービス―ボクシングジムの場合は、例えば良いトレーニング環境、設備、雰囲気、またプロとして活躍したい者にとっては、マッチメーク力、資金力、優れたトレーナー陣などが求められ、淘汰されて然るべきではあるのだが・・・。
 新田ジムは"金"も"力"もない新米ジムだが、それなりに"愛?"と"勇気?"と"知恵?"を武器に練習生を集めてきた。また新しいジムには、それだけで人間心理をくすぐるアドバンテージもある。「新規一転頑張ってみよう―」という者にとっては、新しいジムというのは魅力的である。
 そんな訳で、近隣ジムから移籍を希望してくる練習生が何人かやって来た。プロボクサーでなければ、ジムの移籍は基本的に自由になっている―とはいえ、黙ったまま移籍して、後々その練習生がプロボクサーになった時に、「何だお前、ウチにいたヤツじゃないか!」なんてことがあると、お互いに気持ち良くはない。新田ジムでは移籍してきた練習生に、前に所属していたジムへひとこと挨拶に行くようにさせている。
 ある日、坊主頭のふたりが入会してきた。聞けば近隣のSジムの練習生だったというではないか。それまで中途半端にボクシングをやってきたが、心機一転プロを目指して頑張りたいと訴えてきた。「Sジムではいろいろお世話になったまま不義理をしている。」と言うし、これはきちんと挨拶に行かせなければならないと思った。前もってSジム会長に電話を入れると、案の定あまり良い反応ではなかった。
私は自ら菓子折りを持って、彼らに同行して挨拶に出向いた。Sジム会長は、「しっかりやれよ!」とさっぱり言ってくれたが、胸中は複雑だったに違いない。
坊主頭だったふたりは、半年後にプロテストを受験した。沖縄出身の浜里幸広が合格し、その3ヵ月後に"ハンマー浜里"のリングネームでプロデビューした。規約上問題無いとはいえ、やはりこれから同じ業界で生きてゆく上で、ひとこと挨拶に行っておいて良かったと思っている。
反対に、新田ジムとは肌が合わずに去って行った者もいる。まだ他のジムへ入会したという話は聞いていないが、これからは逆の立場に立たされる機会があるかも知れない。とは言っても、今の新米会長に出来る事は、"愛?"と"勇気?"と"知恵?"を武器に彼らにぶつかってゆく事だけなのだが― 

新田ジム 記録

・ 12月17日(水)後楽園ホールでおこなわれた、新田ジム4人目と5人目のプロ選手のデビュー戦は、両名とも1RKO勝利をおさめました。
契約60kg ハンマー浜里(新田)KO1回22秒 島田武士(M・T)1L
契約58kg 志賀 悠(新田)KO1回1分52秒 桐島一寿(レパード玉熊)1L

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新田渉世(にった・しょうせい) 
87年、横浜国大2年の時にプロデビュー。96年10月にOPBFバンタム級王座を獲得し、「国立大卒初の王者」としても話題となった。
34戦23勝(17KO)9敗(3KO)2分

新田ボクシングジム   
神奈川県川崎市多摩区登戸2832 小田急線向ケ丘遊園駅徒歩5分
TEL 044-932-4639
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