サンデー・パンチ

粂川 麻里生

 「格闘技」の時代のボクシング

 何年か前、「格闘技ブーム」というのが起こり、それは少しつづ趣きを変えながら今日まで続いているようだ。UWF、リングス、K−1、PRIDE 等々……。「格闘技」の大きなイベントは大きな成功を収め、テレビでも大きな取り上げられ方をしている。
 格闘技のスターは、スポーツの枠を超えて「タレント」としてさえ通用している。とりわけ、K−1のトップファイターたちは、日本では大変な名士である。なかでも、去年から今年にかけてのボブ・サップの売れっ子ぶりはすさまじかった。もし、TVタレントというものに「年間大賞」とか「新人賞」といったものがあるのなら、それらは彼に総なめにされるのではないだろうか。歌手よりも、俳優よりも、格闘技スターの方が、より「全国民的」な有名人として通用しやすいというのは、不思議な感じさえする。「モーニング娘。」がそれこそ束になっても、ボブ・サップひとりの知名度とインパクトにかなわないかもしれないというのは、大変なことだ。しかも、サップは外国人なのである。
 そういう「格闘技ブーム」は、一面では、格闘技の「クラシック」としてのボクシングに、興味と尊敬を集めてくれた面もある。拳だけで戦うボクシングという格闘技(ボクシングが本当に「格闘技」なのかどうかは、議論の余地もあるとは思うが)は、いわゆる他流試合には向いていないが、K−1やPRIDEにおいてはボクシング技術は非常に有効な攻撃手段として認知されているようだ。ボクシングには、そのシンプルなスタイルで100年以上にわたって天才たちが攻防を繰り広げてきたという歴史があり、そこに蓄積された技術や知識は、一朝一夕には達成できない高みにある。多くの格闘技選手がボクシングジムの門を叩くのも、ゆえなきことではない。
 しかし他方、「格闘技」がボクシングにプレッシャーを与えている面もある。K−1であれ、PRIDEであれ、基本的に「異種格闘技交流戦」をコンセプトにしているため、かなり技術的には荒っぽく、とりわけ防御技術が乏しいため、「ノックアウト」が生まれやすい。これを「幼稚なスポーツ」と見る人もいるが、完成されたスポーツの難解さや、プロレス的な“ストーリー”の鬱陶しさから人々を解放して、「肉弾のぶつかり合い」という、格闘技本来の魅力を抽出して見せていることも否定できない。それに、「稚拙」なのは“他流試合”ゆえのあくまでも技術的な側面であって、かりにも真剣勝負であるならば、そこで働いている心理や思考まで幼稚であるわけではないだろう。鍛えた2人の男の肉体が真剣にぶつかり合い、そこに明白な勝敗がつくならば、多少なりとも面白くないはずがない。「ボクシングの魅力は、やっぱり豪快なKOだ」とよく言われるが、それなら、K−1こそ「ボクシング」かもしれないわけだ。実際、多くのテレビ視聴者の嗜好は、「真剣勝負」であって、しかも「豪快なKO」があれば、それで十分満足なのではないだろうか。「格闘技」は、いわば“掟破り”なやり方で、ボクシング(あるいは伝統的な格闘スポーツ)の果実だけを搾取していってしまうところがある。
 僕自身は、「ボクシングの魅力はKO」とは取り立てて思わない。僕にとってのボクシングの魅力をあえて集約するとすれば、それはジャブだ。距離のせめぎ合いだ。優れたボクサー2人が相対し、最高度の緊張度の中で、距離を測りあいながら、戻りの速いジャブを、一発、二発、と交換し合う。そこに「二人とも強い! 」、「いい試合だ」という感興が生まれるときこそ、ボクシングの至福にして至高の時間である。そういうのは、新興「格闘技」にはまったくといっていいほどないように思う(アマチュアレスリング、柔道、剣道などには無論ある)。やはり、「格闘技」という、本来“総称”であるはずの言葉で呼ばれるスポーツの類は、良かれ悪しかれ大雑把なものとならざるをえないだろう。
 ボクシング関係者としては、上記その他の、「格闘技」とボクシングの関係をもっと意識した上で、ボクシングが細々とした伝統芸能みたいにならないようにプランを立てていく必要があるだろう。
 僕が、その意味でボクシングに必要だと思うのは、たとえば以下のような発想だ。

 ・日本人(東洋人)重量級選手の育成。
 ・他の各種格闘技との秩序ある交流。
 ・ボクシングの「古典性」を生かした、シックで格好いい
  演出の確立。(「殿堂」の設立や、ボクシング・バー、
  ボクシング・カフェなどの運営も含む)
 ・他の「格闘技」に負けない、企画力、広報力。
 ・現在の状況の中で、もっと愉快にボクシングを語るための
  「言葉」や「物語」の創出。
 ・哲学を失ったWBA,WBCとの関係を考え直し、IBF,
  WBOへの乗換えを検討する。理想的には、日本(韓国や
  タイでもいい)を拠点とした、しっかりとした理念のある
  世界タイトル認定団体を作る。

 などなど……。いくらでも考えるべきことはあるのではないか。

 おそらく、21世紀以降の潮流は、今日本で流行っているような「格闘技」の方に流れていくのではないだろうか。国際的にそうなる可能性も高い。日本という国の、経済的優位性は崩れて久しいが、文化の面では古典文化から大衆文化に至るまで日本が“発信地”になってきている。欧米の文化的停滞を見ていると、今後ますますそうなっていくのではないか。政治経済では台頭著しい中国も、そういった“発信”を行う力は(映画を除いては)まだあまり伝わってきてはいない。「格闘技」も現代日本に花開いた大衆文化だ。「分かりやすさ」という点でも、国際的かつ大衆的だ。かつてアメリカ文化の一部としてボクシングが日本、また世界に広がったように、日本発の格闘スポーツが世界に広がっていく可能性は膨らんできた(たとえば、ゲームなども伴って)。「日本が発信地」というのは、ある意味で愉快だが、「ボクシング・ファン」がその中で“懐古主義者”になっていく危険も小さくない。
 そういう時代に備えて、ボクシングその他の「純正な格闘技(大相撲とかね……)」を愛する人々は、多少準備をしていておくほうがいいと思うのだ。


 粂川麻里生(くめかわまりお)
1962年栃木県生。1988年より『ワールドボクシング』ライター。大学でドイツ語、ドイツ文学・思想史などを教えてもいる。(写真はE.モラレスと筆者)

 

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